2007年08月17日

第10回目『突然の雷』

 高知県室戸岬の防波堤へ友人3人と夜釣りに出掛けた。夕暮れ港へ着くと先客が10人ほど居たので、先端の赤灯台付近に釣り座を定め竿だしする。のっけから快調に海面に浮かんだ電気ウキは、赤い糸を引いて沈みイサキが連続で食ってきた。サシミに出来る結構な大物でうれしいことこの上無い。
 夢中で竿を振っていたら、竿を持つ手にピリピリとかすかな電流が伝わってきた。おかしいなと思った瞬間「ドスーン」。突然何の前触れもなく夜空は引き裂かれ、向かいの建物へ雷が落ちた。それを皮切りに市内に連続落雷し、一瞬に暗やみ化し稲妻が飛び交う。
 竿を投げ出し身を低くしたが平らな堤防では逃げ場はない。稲妻は周囲数カ所に落ち白煙を上げる。ほふく前進で灯台に抱きついたが、大粒の雨で全身ずぶぬれだ。寒さより恐さでガタガタ震えていると、誰かがカンカンと灯台を叩いた。
 抱きついた灯台は「金属製」だ。雷の直撃を受ければ感電死してしまう。腹ばいでクモの子を散らすように後退りする。長い堤防をやっとの事で車まではって行きことなきを得たが、後から逃げる姿を想像すれば恐いやらおかしいやら。
 雷は瞬く間にやんだが虚脱状態で竿を持つ気も失せた。早々に逃げ帰ったが、それにしても真底恐く思い出す度に背筋がゾクゾクした。

※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。


posted by kozato at 09:06 | 日記

2007年08月10日

第9回目『海の薫り』

 海辺へ出掛けても潮の薫りを感じない。以前は目を閉じれば風に乗り潮の薫りが漂ってきた。そのためおのずと海の方角がわかったものだ。私の感覚が鈍ったのかと友達に尋ねても、そういえば海の匂いはしなくなったと異口同音に答える。
 徐々に匂いが薄れていけば慣れで気付かない場合もあるのだろう。匂いの元は奇麗な海に育つアラメやワカメなどの海藻類が醸し出す匂いなのだ。そういえばノリ佃煮のふたを開けるだけでも、周囲に磯の薫りが漂い食欲を刺激された。最近はよほど顔を近づけないと薫りも感じない。
 昔は磯の周りを海藻が幾重にも取り巻き、その間を小魚が群れていた。高度成長期の工場増加に比例して、見る見る枯れてなくなった。岩場には申し訳程度に短い海藻がまばらに生えている。
 磯からは海の中を見渡すことができないが、はげ山の連続になっているに違いない。潜ってみれば森林は消滅して、ペンペン草が生えているようで不気味な光景に映るだろう。このままだと魚の産卵する藻場が消えて稚魚は育たなくなる。
 人々は大気汚染のようにすぐに見て分かるものや、身に降りかかってくる公害には敏感に反応して反対する。最終的に汚れは海へ流れ込み食物連鎖を経て自分に返ってくる。恐ろしいことだ。

※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 13:53 | 日記

2007年08月03日

第8回目『磯の捕り物』

 磯釣りで足裏サイズのグレ、タイがぼちぼち釣れた。小さすぎてもの足らない。場所替わりを決意し身支度を調え渡船を待つ。ところが迎えは来ず、手持ちぶさたですることもない。
 時間を持て余していると、背後から視線を感じ振り向いたが誰もいない。キョロキョロ見回せば潮溜まりで動く何かと偶然目があった。「アッ」と叫びそうになったが慌てて思いとどまる。相手もギョッとして海藻に変身し、足で立ち上がり目を半開きにした。
 一人と1匹は微動だにせずにらみ合った。「タコ…だ!」体長1メートルもある大ダコが海藻に成り切り、波の波長に合わせて揺らいでいる。慌てて動けば深みへ逃げていくだろう。素知らぬ顔をするが動くことはできない。
 横目でタモの位置を確認し足で引き寄せ、スローモーションで手に持ちタコの頭へかぶせた。タコは慌てて2本の手で網を払いのける仕草をする。残りの足で岩へ巻き付かれては面倒だ。タモを前後に揺すると、真っ黒な墨を吐き海面は一面に濁る。
 岩の上へ引き上げると立ち上がり逃走するではないか。頭を押さえると足が手に巻き付く、1本外せば他の足が絡み始末に負えない。クーラーへ入れようとするが、頭が入れば足がはい出す。グズグズしていると逃げられる。先制攻撃で急所の頭へ噛み付くと、ぐったりしたのでやっとクーラーへ入れた。
 背後へ捨てた小魚を食べに来たのだろうが不運だった。帰ってサシミと酢の物で食ったがモチモチして美味かった。

※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 16:41 | 日記

2007年07月27日

第7回目『釣具の価格』

 最近の釣具値段にはびっくりさせられる。中級品でも結構な値段だが、最高級のアユ竿は軽トラックと同程度の価格が設定されている。磯竿でも10万円を超える製品もあり部品の数から考えてもべらぼうな値段だろう。
 それでも新製品の魅力には勝てず買う決断をし、予算オーバーにはへそくりを注ぎ込む。ほしくなったら何をおいても手に入れたくなる自分に愛想も尽きるが、誘惑に負ける自分も嫌になる。
 正札を付けたまま家庭に持ち帰れば「高い竿」買ってとクドクド嫌みを言われる。最後はへそくりの出所を詮索され、こずかいを減らされる可能性もなきにしもあらずだ。隠し通す決心をするしかない。
 そこで一計を案じ正札をはぎ取るか、ケースから商品を抜き取り車の中へ一時保管する。釣行の帰りか、ほとぼりが冷めてから持ち帰る計画だ。内緒にしていても年月と供に買った釣り具の山ができ信用はなくなる。
 後日ばれれば「また買った」と小言の追い打ちは確実。どうして何本も竿が必要なのと厳しく責められる。返す言葉もなくパチンコで勝ったとか「結婚する前から持っていた・・・」と苦しい言い訳に走る。
 こんな訳で釣具店へ夫婦で訪れる方は極めてまれだ。特に高額商品を選ぶときには、ほとんど一人で来店する。それほどまでに隠しているのに、新聞の折り込みチラシに釣り具の広告が掲載され、値段が知られてしまうのは頭が痛い。困ったものだ。

※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 15:14 | 日記

2007年07月21日

第6回目『蘇れ紺碧の海』

最近、沿岸漁業は不振を極め漁獲量は毎年2割近く減少している。乱獲による悪循環が資源の枯渇を早めているのだろう。一般に販売されている魚は高騰することはないが、不足分は養殖漁業と外国からの輸入にたより帳尻を合わせている。
 この状況が続けば10年後に沿岸で捕れる鮮魚は高嶺の花となり、庶民の口には入らなくなるだろう。もちろん漁業従事者は激減離散し残りは養殖業一辺倒になるのは必至だ。
 原因は乱獲以外に気候の変動や海水温の変化、工場からの化学物質拡散、自動車の排気ガス、家庭のゴミや排水などが考えられる。これらが地球規模で循環し気候にも影響を与えているのだろう。
 工場排水や排気ガスは法律で規制できるが、家庭排水は下水整備の遅れで垂れ流し状態だ。ゴミに至っては埋め立て地が満杯で四苦八苦している。そのため四散したゴミは風雨で海に運ばれ海洋汚染の元凶となっている。
 唯一の対策は浄化作用のある渚を残し、各人が自覚を持ちゴミを減らす工夫することだろう。手始めに洗剤を毎日スプーン一杯節約すれば「青い空、白い雲、藍色の海」が蘇る。
 自然は一度壊れてしまうと取り返しが効かない。子や孫のためにも出来ることから努力するのが重要だろう。

※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 16:53 | 日記

2007年07月13日

第5回目『老釣り師と地震』

 前回1964年県南一帯を襲った南海地震の津波は、堤防を乗り越え民家をなぎ倒し裏山近くまで迫った。係留中の漁船は大波に翻弄(ほんろう)され、民家を直撃し被害は拡大した。釣り人は発生時刻が未明で難を逃れたものの、磯釣りの最中なら確実に海の藻屑と消えていただろう。海岸で釣りをしていても、地割れや民家損壊で瞬時に逃れられるかは疑問だ。唯一高いビルの屋上への避難が延命策かも知れない。磯でも地震の影響は恐ろしいもので、所々で崖崩れが起り磯の姿を大幅に変化させた。数多くの低い磯は地盤沈下で水没し、わずかに干潮時水面へ頭を出し今に語り継がれている。大きな磯なら波切りもよいので津波をやりすごしてくれるかも知れないが、頂上への登りにはなみなみならぬ苦労が伴うだろう。渡船に乗船している場合は沖の深みへ出ると波が避けられる。被害は最小限にとどまることを願う。

※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 10:49 | 日記

2007年07月06日

第4回目『焼き魚』

 我が家の家業は弁当屋だが、そのため毎日多量の魚を調理する。ある時、磯釣りに出掛けマキエをすると、手のひら級の小イサギが無数に湧いてきた。ハリを入れれば即座に飛び付きウキを沈める。始めは「大きくなったら、またおいで」と優しく返していたが、海の色が黄色く染まるほど居るので、持って帰り塩焼きで弁当へ入れることにした。
 それから必死になって釣りまくり、40リットルのクーラーとバッカン一杯にした。入りきらない分は友人のクーラーへ入れてもらい、氷を効かしてフウフウ言いながら持ち帰り、仕事場で料理に掛かった。
 ウロコは落としエラと内臓を取り除き、身に切れ目を入れ串を打ち塩を振り焼き始めた。下準備だけで零時を過ぎたがやりかけた仕事はやめられない。魚は中骨があると調理(切り身より)に時間が掛かる。焼いても焼いても切りがない。
 とうとう前夜から一睡もせずに約250匹を焼き上げ弁当へ入れた。お客さんにはうまかったと喜んでもらったが、火の側で一晩付ききりだったので頭はフラフラし、「二度と、絶対、尾頭付きは弁当へ入れない」と誓った。
 魚は卵を何十万単位で産むのだが、親になるのはわずか数パーセントだ。すべてが親になると数十年で海中魚だらけになってしまう。そうならないのは、大半が他の魚に食べられたり餓死したりするからだろう。また、親が子を守ってやれないので多産なのだろう。

※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 09:44 | 日記

2007年06月29日

第3回目『お堀のチヌ』

 徳島城公園のお堀にはチヌが生息している。「堀にコイ」は定番だが、チヌは全国的も珍しい。それも40センチクラスの大物が300匹近く群れになり悠々と泳ぐ。これが東京ならアザラシの「タマちゃん」同様人気者になり、見物人が大勢押し寄せることだろう。お堀は水路で新町川へつながり、ゴミ避けの鉄格子で仕切られている。小チヌのうちに入ると大きくなれば出られない。エサ不足を補うため、カモやアヒルのエサを失敬して生き延びている。時々、散歩途中の人が与えるパンへ群がり、水面近くでカモと争奪戦を始めることもある。だが互いに共存協栄し喧嘩をすることはない。かわいそうなので見兼ねて、磯釣りの残りエサを持ち帰り撒いてやることにした。すると足下で喜んで乱舞する。チヌと友達になれるのは楽しいが、通りすがりの人々がけげんな顔をするので困る。

※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 10:43 | 日記

2007年06月22日

第2回目『カワウ』

季節の風物詩、アユ解禁になったが、早朝や夕刻に数十羽単位で編隊飛行するカワウをよく見掛ける。全国的に異常繁殖し集団で各河川のアユや小魚を食い荒らす。漁業組合や釣り人へ甚大な被害を及ぼし、立ち木に巣を作り糞害で木を枯らす。
 勝浦川では毎年多大な被害に耐えかね、狩猟許可を取り死骸を橋に縛り付け、川中へ釣り人の姿を模した五十体のカカシを立てた。すると賢いカワウは恐れをなし、付近に近付かなくなった。その分、吉野川や那賀川へ引っ越し両河川は被害が拡大するだろう。
 元々カワウは高度成長期の開発で減少し狩猟禁止になっていた。琵琶湖のある神社では昔より約三千羽ほどが住み着いていた。近年一万八千羽に増え糞害により、国宝に指定されている神社の森を枯らし、食べる魚は琵琶湖の年間漁獲量に匹敵するほどの食害を与えた。耐えかねた漁協は許可を取り一万五千羽を駆逐した。それでも翌年には二万羽以上に増えた。
 仕方なく立ち木へロープを張り、飛び立てないよう撃退したところ、カワウは琵琶湖を捨て全国各地へ散らばり異常繁殖した。その総数は八万から十万羽ともいわれている。
 保護すると増えすぎ、駆逐すると絶滅する。人間の都合で増減させられるカワウはたまったものではない。自然界では餌の増減で、個体数も調節されるのが本来の姿なのだが、人間の過保護や身勝手で、自然界の法則を乱し独り善がりしていいものだろうか。疑問に感じるのは私だけだろうか。


※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 09:45 | 日記

2007年05月21日

第1回目『釣の病』

 徳島県の釣り人口比率は日本一だと言われている。釣りは楽しく面白いものだが、のめり込み過ぎると中毒症状を起こす。大自然の中で思い切り身体を動かし深呼吸すると「浮世の憂も忘れられ」明日の英気も養われる。ところが子供の遠足みたいに、指折り数えて休日を待つようになれば病の前兆だ。更に進行すれば夢へ「魚とのやり取り場面」が出てきて、お魚さんが海へおいでおいでと手招きをしだす。こうなれば重傷の部類に属し、釣りからしばらく遠ざかれば気分や身体に変調を来す。獲物が釣れると無上にうれしくなり、友人や誰かれかまわずふい聴しだす。大漁の日は足取りも軽く翌週に疲労も残らないが、不漁の日は不機嫌になる。困ったものだ。


※本コラムは小里哲也氏が氏の地元徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 14:44 | 日記


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