2008年03月28日

第39回目『中国魚釣り珍道中』[下]

中国セミナーは120人余りを迎え開催した。全員熱心だが海釣り経験者は少なく、女性の通訳を通すので身振り手振りで技術を語る。終了後は深夜まで宴会は続き飲めない酒に悩まされた。中国料理の海産物はほぼ日本と同じだが、市場価値の少ない20センチほどの小魚が主だった。
そこで「大型魚」は居ないのかと質問したが、たとえ水揚げされても魚価の高い上海など大都会へ売られていくようだ。しかし産卵できない稚魚を乱獲すれば繁殖せず居なくなってしまうだろう。

翌朝南東部の島で釣りをする予定だったが、風も強く見学者も20数人居るので港近くの岩場を選ぶ。竿を出しても生態反応は全く感じられない。魚が極端に少ないからだろうか。
2時間ほどしてようやくウキが沈んだ。手首を返すとヒラヒラ小魚が飛び上がってきた。背後で見ていた見学者が拍手をするのには閉口する。それっきりアタリはなくなった。
そこへ漁船が目の前に現れ網入れし水面を棒で叩く、時間の関係で潮時だと諦め竿をしまった。他にも関係者3人が釣りをしたが小魚1匹に終わった。帰途の車中で釣れない原因を考えてみた。ここの漁民は底引き網で小魚を取り尽くすらしい。そのせいで海岸線や港で釣り人を一切見掛けないのかも知れない。
駆け足での訪問だが海釣り事情の一端を垣間見て楽しく有意義だった。機会があれば長時間チャレンジしたい。

※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。


posted by kozato at 10:01 | 日記

2008年03月21日

第38回目『中国魚釣り珍道中』[上]

釣りセミナーの講師として中国広東省広州へ5日間の日程で出掛けた。広州は人口1600万の大都市で東京都をしのぎ、中心地は高層ビルが建ち並び繁華街は人波であふれ、歩く人々も日本人とよく似ている。6車線の道路は所狭しと車で埋まり、中国語の看板さえなければ外国へきたことを一瞬忘れる。

広州から珠海へリムジンバスで高速道を移動の途中、女性の車掌がバスから降りた。しばらくして彼女を置き去りにバスが発車するではないか。慌てて通訳に「車掌が乗ってない」と叫んだ。通訳いわく満席なので自分の席を客に売ったという。
重ねて「彼女はどうするの」と訪ねてみた。心配ない次のバスへ乗るだろうと答えた。ちなみに後発のバスは3時間後だ。心なしかバスを見送る彼女の横顔がさみしそうだった。

中国は川や池釣りが盛んだが、海釣りの歴史は浅く一般普及にほど遠い。恵まれた階級の人たちが観光をかね海南島など南の島へ出掛けるようだ。だが熱心さは人後に落ちず台湾から駆けつけた人や、北京より列車で36時間掛けて参加した人もいるくらいだ。私の本やビデオも中国語に翻訳され海賊版で販売しているのには驚いた。

※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 09:12 | 日記

2008年03月14日

第37回目『春の魚』

サワラは漢字で魚偏に春という字を当てる。サバ科に属し全長1mに達する大型魚で、背側一面へ青灰色の斑点があり、細長くスマートなのが特徴だろう。名称の由来は大きな割に狭い腹(サハラ)がなまってついたという。関西では若魚の呼び名をサゴシといい狭い腰から出た名だという。

旬は年2回あり春の彼岸に獲れるのを「上りサワラ」、秋のを「下りサワラ」と称し、ともに高級魚として食卓を賑わす。よく引き締まった身は照り焼き、味噌漬けなどにするが、新鮮ならサシミにしてもうまい。

魚は焼き物、煮付けなどに調理して時間をおくと水分が飛び身も固くなってしまう性質がある。ところがサワラは柔らかいまま長時間保てるので、仕出し料理や弁当のおかずに最高の素材だ。珍味のカラスミといえばボラ卵巣の塩蔵から作るが、江戸時代の古い文献によると昔はサワラの卵巣から作られていたらしい。それほど漁獲量も多かったのだろう。

四国周辺では冬場に太平洋岸で暮らすが、水温が上昇してくる4〜6月、瀬戸内海へ産卵のため大挙して入ってきたところを御用になり市場へ多く出回る。同じ時期にイワシ、イカナゴ、サバなども内海へ回遊してくるので、エサを追ってきたついでに産卵をすますのかもしれない。


※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 08:47 | 日記

2008年03月06日

第36回目『釣り糸発祥の地』

鳴門・堂の浦は天蚕糸「釣り糸」発祥の地として知られている。この地の漁師が江戸初期に中国より輸入した、薬の荷造りひもを偶然水へ付けたところ透明になった。これは釣り糸利用できるとひらめき調べたところ「ガの幼虫」が出す糸と分かった。

繭から採種したテグスは太さが不揃いなので、天保銭などへ大小の穴を開け中を通し削り取ることで同じ太さに整えた。気泡が混入していれば強度不足になるので、切り取ってつなぎ椿油で磨き透明にする方法を開発した。

透明の糸は鳴門ダイの一本釣りに利用され素晴らしい成績を上げた。これだけならありふれた話だが、漁民は瀬戸内海一帯へテグス船を仕立て行商に回り、地域産業として大いに潤った。同時に一本釣りの技術も教えたので全国に知れ渡った。

大正年間までテグス船は営業を続けたがナイロンの発明により衰退していった。しかし、当時栄えた淡路、兵庫県には現在でもハリ、テグスなどのメーカーが多数存在している。

この頃が起源だと言われている徳島の磯釣りは、阿波釣法として全国一の座を現在も守り、人口比率では日本一の釣り好き県として有名だ。また、徳島発案の釣具として「竿、リール、ウキ、オモリ」の開発などに多大な貢献をしている。

※本コラムは小里哲也氏が氏の徳島新聞かわら版に2003年5月〜2007年2月に寄稿したものを順不同にて掲載させていただいたものです。

posted by kozato at 18:20 | 日記


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